五色堂の前身は、落花生・大豆などの煎り豆や
砂糖蜜を豆にまとわせる砂糖菓子などを作っていた、四国の駄菓子屋でした。

すべての始まり

昭和23年、 縁あって福岡市渡辺通り1丁目において、 豆菓子の製造、卸の専門店として 開業しました。

開業当時(昭和23年)

昭和44年

昭和60年

代々受け継がれゆく技術

昭和44年、 天神地区の都市開発に伴い、 現在の地(早良区曙に移転。 当時の技法を代々受け継ぎ、 今に至ります。

平成15年

平成15年

現在

『温故知新』常に進化し続ける技術

初代から受け継がれる技術

初代から受け継がれる匠の技術。
それは、他の誰にも真似できない、長い年月をかけ培われ、常に進化し続ける技術。

揺るぎないこだわり

温故知新。
古いものだけが知っている、伝統技術。
その揺るぎないこだわりを携え、
新しいものだけが持つ良さを加味していく。
それこそが、五色堂の歩みです。

守り続ける昔ながらの味

古くからの製法を受け継ぐ

古くからの製法を受け継ぎ、作られる五色堂の豆菓子。
昔ながらの味を大切にしています。

時間をかけてゆっくりと製造

大きな円形の器を回転させ、ゆっくりと時間をかけて煎られる豆。

丁寧にじっくりと繰り返し

何度も何度も、少しの量を繰り返しかけていく、砂糖蜜。
一度にまとめてかけるのではなく、丁寧にじっくりと。

手間ひまかけて作られた五色豆

そうすることで、形の整った、美しいフォルムに仕上がります。
五色豆特有のこのツノはまさに、じっくり手間ひまかけられた証です。

好評を博した五色堂の節分豆

昭和20年代、節分の日の豆まきは、それぞれの家庭で大豆を煎っていました。五色堂は開業間もなく、福岡で初めて煎り大豆を販売。好評をはくしました。

五色と縁起

さかのぼること、平安時代。
厄払いとして追難(ついな)の儀式が行われていました。
当時の豆まきは、丑寅の方角から。
丑は12月、寅は1月を意味し、2つの月をまたぐ間に、災いのもととなる鬼が現れるため、鬼に向かって硬いものを投げつけ、追ったことに由来しています。
その儀式には、万物の象徴として、五つの色が使われてきました。

贈り物に最適

シーンを選ばず好まれる豆菓子は贈り物としても喜ばれます。

お祝いごとやイベントに

節分・お祝い・慶び事・法事の席。
感謝の思いを、上質な豆菓子に添えて。

子どものおやつやお酒のお供に

また、味も見た目も多彩な豆菓子は、老若男女問わず喜ばれるおやつとして、お酒とも相性の良いおつまみとして、日々愛されています。
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